設立40周年を迎えて 全国連合退職校長会 会長 土橋荘司

全国連合退職校長会 会長 土橋荘司

 全国連合退職校長会が結成されて、ここに40周年を迎えるに当たり、心から慶祝の意を表する次第です。

  昭和40年(1965)6月、国の興隆発展の原動力である教育の基幹を培う栄譽ある職務に生涯を捧げることを誇りとする同志が、わが国教育の正常化を願い、教育の正しい世論の創造と教育振興への期待を担って、都道府県退職校長会に一致団結のもと相集い、われらの主張を朝野に呼びかけるべく設立の声をあげました。以来、昭和から平成への激動の中を全国組織の強化・拡大に努め、全国47都道府県の連合体として会員9万余の今日の姿にまで充実、発展を遂げることができましたことは、真に国内関係各位のご支援とご理解、また各地域の退職校長会の努力と鞭撻の賜と厚くお礼申しあげます。

  過去の歴史を辿ってみますと、結成当時はすでに戦後20年の歳月を経て、我が国は急速な産業や経済の発展が見られ、世界の注目をあびるところとなっていました。しかし一方、教育界は今なお混迷の様相が見られ、真の日本人教育の確立、道徳教育の振興、教員養成制度の改革、更には偏向教育の是正など、多くの問題が山積していました。

  生涯の大部分を教育に尽力してきた全国の退職校長会の会員各位は、これらの世情や課題に対して深い憂いを有していました。しかし、全国に散在する個人の力では限界があるとの認識から、大同団結して全国組織を結成し、教育の再建に寄与すべく意を決しました。その精神は、結成大会での初代会長宮内与三郎先生の挨拶や大会声明などによって明瞭に示されていますが、こうした教育に対する愛の精神によって結成された本会の灯火を、この40年間絶やすことなく協力しあい、努力しあってきた歩みを今日思い返すとき、関係者への敬意とともに、感無量のものを禁じ得ません。

  現在、わが国は21世紀という新世紀にふさわしい教育の在り方を展望し、新しい時代を切り拓く、心豊かでたくましい日本人の育成を目指して、教育改革を強力に推進しています。特に注目すべき21世紀の各国の主眼は、国家の世界的自覚を強める“知の競争時代”への試行です。従って科学技術に対する期待と要請がかってない程に高まっています。更に社会のための科学が提唱されているように、新しい科学と社会の関係が模索されはじめました。日本でも科学技術を国の重要な政策に位置づけ、制度改革や新しい試みが積極的に取組まれています。更に国内的には、国が教育の目標を設定して、その水準の確保に責任を負い、その達成のため国が必要な教育投資を惜しまず行う一方で、教育の実施はできる限り地方、学校の創意工夫を充分に生かすようにしています。そのためには、全連退として義務教育の根幹である機会均等、水準確保、無償性を確実に実行することを求めてまいります。

  教育の在り方は、“国家百年の計”といわれ、その振興に努力してきた全連退としても、更に積極的に対応し目的達成につとめる覚悟です。また、時代の変遷は急速であり、教育の情勢としても流動的、かつ多様化の様相を呈しているため、全連退の活動もその変容に即応する姿勢が大切です。

  平成9年度より、教育尊重の気運の高揚と教育の振興を期する日として、継続的に活動を進めてきている「教育の日」の制定も、次々と全国の都道府県市町村において自覚的に増加が見られ、誠に喜ばしいことと存じます。

  教育改革の流れも、これからの先行き不透明な厳しい時代の中で展開を見せるとの認識に立つべきでしょうが、教育には時代を超えて変わらない価値のあるものがあります。急速な時代の変化に対応しつつも、決してこれに流されることなく不易なものをしっかり見据えて、的確に課題を見極め、一つ一つの命題を地道に解決していくことこそ重要な条件であり、またこの全連退40年の歩みの姿勢でもあったと思います。将来もこれと変わらない主旨での活動が望まれましょう。

  この40年の歴史を顧み、設立当時の諸先輩の心に思いを馳せつつ、これまでの活動を充分に辿り、それにもとづいて将来を思考し、全連退に課された責任を果たしていきたいと念願する次第です。最後に今後とも一層のご支援、ご協力をお願いして、ご挨拶といたします。

平成16年10月16日

発刊のことば  設立40周年記念事業実行委員長 戸張 敦雄

設立40周年記念事業実行委員長 戸張 敦雄

設立40周年を記念する事業のひとつである「設立40周年記念誌」を発刊することができた。ご同慶の至りである。

記念誌の企画・編集・執筆等は、全連退40年の足跡を振り返り、更にその歩みを検証し、将来への展望を明らかにする「ねらい」のもとで進められてきた。

その編集会議のたびに目にしていた会議室の額のことば(下掲)が記念誌発刊の意義を述べているように思える。

        『学びて思わざれば則ち罔し。
              思いて学ばざれば則ち殆うし。』

それは、記念誌の内容である本会の沿革や研究・調査資料のまとめ等に、脈々と流れている諸先輩の意思の本質を述べた至言であると解せられるからである。

即ち、全連退が力を注いでいる研究・調査、意見や要望の公表には、自ら学ぶこと、主体的に思考・思索することとが共に不可欠である。このことを均斉のとれた対句表現を通して言い表した名言であると思うからである。

記念誌を繙かれる方々は、そのことに賛意を表されると思っている。

全連退はこれからも、全国の各都道府県退職校長会の連合体として、その目的を目指し、蓄積された成果を尊重し、自らの思索を過信することなく、“殆うからざる道”を求めて伸びていくと信じている。

この記念誌発刊に当たり、会長の卓越した指導力、それを編集計画に織り込みながら編纂に当たった編集委員の各位、40年間の研究・調査をていねいにまとめた資料委員の諸氏、さらに、各都道府県退職校長会の理解ある協力に対して、深甚なる謝意を表する次第である。

目次

目次 

設立40周年を迎えて    全国連合退職校長会 会長 土橋 荘司

発刊のことば         記念事業実行委員長    戸張 敦雄

全国連合退職校長会沿革
   Ⅰ.全国連合退職校長会の設立
   Ⅱ.全国組織の強化・拡大
   Ⅲ.社会の変化への対応と提言
   Ⅳ.教育改革の流れと全連退

各部・委員会の変遷と現状

都道府県退職校長会の歩みと現状

資料 全連退40年の研究・調査の歩み
    全国連合退職校長会会則 
    全国連合退職校長会綱領
    歴代本部役員
    全連退の歌 ― 光かかげて ―

あとがき

全国連合退職校長会の設立 ・ 年表

全国連合退職校長会の設立 

全国連合退職校長会は、昭和40年6月10日、わが国教育の正常化と教育振興への期待を担って設立された。

◆ 戦後の教育情勢 ◆

  戦後のわが国の学校教育は、昭和22年(1947)「教育基本法」と「学校教育法」の公布により六・三・三・四制の実施として新しい一歩を踏み出した。

  文部省は同年、学校教育の指針となる「学習指導要領一般編(試案)」を発表し、さらに12月には各「教科編」も出した。続いて昭和26年(1951)には最初の改定を行ったが、再度「試案」として示した。

  新教育を模索する中で発表された学習指導要領の研究も進み、昭和27年(1952)の平和条約発効以後は、経済の復興とともに次第に独立国としての気運が高まり、アメリカ一辺倒の教育内容を見直し、国情に即した教育制度への改善・充実が図られようとしていた。

  折しも日本経済は、戦後の混乱と苦境から脱しつつあり、景気回復のきざしが見え始めていた。そこへ昭和26年、朝鮮動乱が勃発し、軍需品の調達がわが国に舞い込み、いわゆる軍事景気をもたらした。これを機にわが国は高度経済成長期に入り、世界経済の奇跡とも言われる「神武景気」「岩戸景気」を迎えることになった。

  その後、昭和33年(1958)に学習指導要領の二回目の改定を行い新しく教科外に「道徳」を加えるとともに「試案」の2文字をはずして、法的な拘束力を持ち教育課程の基準となる「小・中学校学習指導要領」を告示した。

◆ 教育界の混乱 ◆

  経済成長の裏側では左翼勢力の台頭があり、教育界にも職員団体として教員組合が生まれ、全教から日教組となり倫理綱領が発表された。革命の基盤をつくるのだという秘密文書が教師の間に配られ、「教師は労働者である」とデモへの参加も盛んに行われていた。

  昭和30年前後には、偏向教育が政治問題に発展し、昭和31年(1956)の教育委員の任命制、翌32年(1957)の教職員の勤務評定の通達や「道徳}の特設時間などをめぐる抗議行動等が教育現場を混乱させていた。

  日教組は、こうした一連の活動から、日に日に文部省との反目・確執を深め先鋭化していった。組合活動は、教育現場にその暗い影を落とし、子供たちが教師の活動をまねてプラカードをもって運動場をねり歩くという遊びが見られるに至った。

  教育者や有識者の中からは、教育を正常な形に戻さねばならないという声が沸き上がり、さらにまた、子供たちの手におえない荒れた行動は、住民・保護者の間に「修身を教えないからだ」など、学校への不満が大きくなっていった。

  こうした情勢下において文部省が実施した「全国一斉学力調査」(昭和38年6月)に対し、日教組が中心となって激しい反対運動を展開した。さらに学生運動も過激化し学園紛争の多発へと広がっていった。

  教育の正常化を目指し学校教育の充実を期待して、指導内容を質的にも量的にも拡充しようとする傾向が見られた。しかし、それが必ずしも正常化に結びつかなかったばかりか、逆に教育の停滞や退廃が始まり、日本教育は危機的な状況に向かっていたのである。こうした実情を憂い、実際に日教組に対して反発する直接行動を起こす保護者が現れたり、教育の正常化運動を唱える団体も次々と生まれたりといった情況にあった。

◆ 退職校長会への期待 ◆

  戦後日本の教育の担い手であった退職校長の間でも、教育現場の混乱を憂い、わが国の教育を正常化することの重大さを強く認識し改革への気運を高めていった。

  東京都退職校長会(千代田会)は、もともと親睦の会であったが、教育界の混乱する姿を見るにつけ、我々の残した教育界をこんな姿にしてはならない、戦後の教育の良い面は生かしながら間違った点は正さねばならないとして、昭和34年(1959)には「教育正常化に関する声明」を出すに至った。

  さらに、昭和38年(1963)、同会創立10周年記念大会を迎え、総会での決議声明に「全国組織を作り、教育再建に寄与しよう。特に、社会道義の高揚、偏向教育の是正、家庭教育の改善、非行青少年の補導、勤労青少年の育成などすみやかに解決しよう」という一項を盛り込んだ。これまでも設立への努力がなされていたが、この決議から「今こそ、全国組織としての退職校長会の設立準備を急がねばならない」という気運が高まり翌年、昭和39年(1964)9月には「全国連合退職校長会結成準備委員会」が結成されている。

◆ 設立の準備 ◆

  昭和38年に全国組織の立ち上げが決議され、翌年には準備委員会が結成されながら、二年間具体的な活動に移れないでいた。それは、設立趣意書の作成等の準備は進められていながら、全国各地への呼びかけに必要な通信費や交通費など運営経費の捻出ができないことに原因があった。

  その頃、準備委員会のメンバーの一人が「連合退職校長会の設立に協力しよう」というA氏に、たまたま出会うことになった。A氏は、退職校長会の全国組織立ち上げの趣旨に共鳴し、運営資金として160万円の提供を申し出てくださったのである。コーヒーが一杯30円、葉書が5円の時代の160万円という多額の出資であり、なんら見返りを求めることのない自由に使える資金援助である。これをありがたく受けることとし、声明書、趣意書、設立計画等の全国への発送に取りかかることができ、準備委員会の活動も一気に活気づき準備が進むことになった。

◆ 結成準備委員会の活動 ◆

  昭和39年9月に正式に設立された全国連合退職校長会の「結成準備委員会」は、東京都退職校長会(千代田会)から16名を選出し発足した。

  準備資金の援助を得られることになったことに力を得て、9月12日に第一回の委員会を開いて以来、短期間に数回の会合をもち協議を重ね、設立準備の「趣意書」「規約案」の作成、設立後の組織の原案作りなどを精力的に進めた。

  また、全国を8つのブロックにわけて、それぞれのブロックごとに準備委員を派遣し、「結成準備懇談会」を開催し、各都道府県に退職校長会を立ち上げること、それらを全国退職校長会の連合組織として設立することなどを申し合わせ、全国組織づくりの基礎固めを進めていった。

  そこで昭和39年10月には、都道府県の現職の各校長会長の手を通して「全国連合退職校長会」設立の「趣意書」、「全国連合退職校長会会則(案)」を送付している。また、11月4日には、各府県小、中、高の現職校長会長に仲介の「依頼状」を135通、さらに各府県退職校長代表に宛てて「お願い」「声明書」「全国組織趣意書」及び「千代田会誌」等の関係書類をまとめて270通を発送している。反響は大きく「趣旨に賛同」「是非、参加したい」など激励の返信を多数受けて益々勇気づけられた。第一回の委員会から、およそ2カ月の間の活動であった。

全国連合退職校長会の「結成趣意書」は、次のようであった。

◆ 全国連合退職校長会結成趣意書 ◆

  終戦後既に二十年、その間におけるわが国産業の発展、経済の成長は、実に世界各国の均しく驚異とするところである。然るにわが教育界は、今なお混迷をつづけ、憂慮すべき幾多の問題が山積している。すなわち、真の日本人教育の確立、偏向教育の是正、道徳教育の振興、非行青少年の対策、社会道義の高揚、家庭教育の改善、教員養成制度の改革等、何れも速やかに解決を要する問題である。
  生涯の大部分を、教育に捧げた全国退職校長の各位は、この世情に対し最も深き憂いを有するものであろう。然しながら、全国各地に散在する退職校長の一人一人が、如何に憂慮し如何に努力しても個人の力によって、これ等の問題を解決することは、殆ど不可能であるといわねばならない。よってわれわれは、まず各都道府県において、その地域の小中高校の退職校長が、団結して都道府県の退職校長会を組織し、相互の親睦を図るとともに、現職校長と提携して、教育振興に努力し、更に大同団結して、全国退職校長会を結成し、中正健全なる教育世論の喚起に努め、もって、わが国教育再建の事業に寄与せんことを期するものである。
  また教育の振興を図るためには、教育界に人材を誘致することが大切である。そのため現職教員の地位待遇の向上をはかるべきは勿論であるが、更に退職者の所遇を改善して、その生活の安定を得しめることが極めて緊要である。最近における物価の上昇、生活水準の向上による退職者の生活困難は、言語に絶するものがある。かかる状態を長く放置することは、教員志望者に対し、将来の希望と誇りとを失わしめ、教育界に人材の誘致を阻む結果となることは極めて明らかである。
  よって、われわれ全国の退職校長は、一致団結して、退職教員およびその遺族のために、退職公務員連盟等と提携して、恩給、年金スライドアップ制の早期実現を期し、もって退職者の生活安定をはかり、教育尊重の実を上げんとするものである。また、この会は、政治的にも思想的にも中立を堅持し、如何なる政党にも思想団体にも偏することなく、永遠にその存在を続けて、わが国教育の振興に寄与せんとするものである。全国公立学校退職校長各位、以上の趣旨にご賛同の上、もれなく本会に加入せられて、わが国教育再建の大事業に協力せられんことを期待する次第である。


昭和39年9月
結成準備委員会

◆ 全国連合退職校長会の設立 ◆

  昭和40年6月10日、「全国連合退職校長会結成大会」は東京都千代田区の国立教育会館において全国42都道府県の代表159名来賓25名、合計184名の参加により挙行された。

  当日は、午前中に都道府県代表の参加者全員で準備会を開き、大会の運営に関し諸般の打ち合わせを行っている。午後1時よりの結成大会となり、開会の辞、国歌斉唱に続いて、設立の経過報告、準備委員会代表挨拶、来賓祝辞があり議事に入った。

  第二議案の役員の選出では、初代会長、副会長、さらに監事、常任理事等の役員24名を決定した。さらに、「大会声明」を発表、その意気を示し、大会は午後三時、つつがなく全日程を終了した。

  そのあと、会場を移して祝賀会が行われた。全国各地で同じ教育の道を歩んできた同士が退職後、初めて一堂に集い、教育の正常化を主眼に行動を共とすることを喜び、希望と期待に満ちた歓談の時を持つことができた。祝賀会は、本会の結束と発展の願いを込めて万歳三唱により散会した。

  なお、大会役員は文部省はじめ関係機関を尋ね、本会の結成や経緯を伝え理解をもとめた。

各部・委員会の変遷と現状

都道府県退職校長会・歩みと展望 ※画像リンク作業残し

北海道地区 (01) 北海道退職校長会
東北地区
(02) 青森県退職校長会
(03) 岩手県公立学校退職校長会
(04) 宮城県退職校長会
(05) 秋田県退職校長会
(06) 山形県退職校長会
(07) 福島県公立学校退職校長会
関東甲信越地区
(08) 茨城県退職校長会
(09) 栃木県退職校長会
(10) 群馬県退職校長会
(11) 埼玉県退職校長会
(12) 千葉県退職校長会
(13) 東京都退職校長会
(14) 神奈川県連合退職校長会
(15) 山梨県退職校長会
(16) 長野県退職校長会
(17) 新潟県公立学校退職校長会
東海・北陸地区
(18) 富山県退職校長会
(19) 石川県退職校長会
(20) 福井県退職校長会
(21) 岐阜県退職校長会
(22) 静岡県退職校長会親和会
(23) 愛知県退職校長会
(24) 三重県退職校長会
近畿地区
(25) 滋賀県退職校長さゞなみ会
(26) 京都府連合退職校園長会
(27) 教育みおつくし会(大阪)
(28) 教育なにわ会(大阪)
(29) 大阪府退職校長会連絡協議会
(30) 兵庫県退職校長会連盟
(31) 奈良県退職校園長会
(32) 和歌山教友会
中国地区
(33) 鳥取県退職校長会
(34) 島根県退職校長園長会
(35) 岡山県退職校長会
(36) 広島県退職校長会
(37) 広島市退職校長会
(38) 山口県退職校長会
四国地区
(39) 徳島県退職校長会
(40) 香川県退職校長会
(41) 黄鳥倶楽部(愛媛)
(42) 高知県退職校長会
九州地区
(43) 福岡県退職小学校長会
(44) 福岡県退職中学校長会
(45) 佐賀県退職校長会
(46) 長崎県退職校長会
(47) 熊本県退職校長会
(48) 大分県退職校長会
(49) 宮崎県退職校長会
(50) 鹿児島県退職校長会
(51) 沖縄県退職校長会

資料:全連退40年の研究・調査の歩み

全国連合退職校長会 綱領

歴代本部役員

全連退の歌