抜粋内容

年頭随想 会長 土橋荘司

『栄典制度に関する要望書』を文部科学大臣へ提出

〔全国校園長会長より〕
公立学校の正念場 全日本中学校長会 会長 星正雄

〔全国校園長会長より〕
体験的学習について 全国高等学校長協会 会長 千田捷煕

〔全国校園長会長より〕
特殊教育から特別支援教育への転換 
全国特殊学校校長会 会長 宮崎英憲

第二回理事会報告

〔地方紙より〕
二宮尊徳に見られる教師像断片 板井角也

〔地方紙より〕
「風呂水の哲学」(一部要約) 吹春茂

年頭随想 会長 土橋荘司

平成十五年の新春に当たり、会員及びご家族皆様の益々のご健勝とご多幸を、お祈り申し上げる次第である。

私は各地域を尋ねて、皆様方の教育に寄せる熱意と同時に退職校長会組織の活性化のために日々努力を重ね、極めて鮮明な目標達成に進みつつあることを心から喜ばしく感じている。こうした努力によって将来への発展の基礎作りが確かなものになりつつあることはまことに頼もしいことである。しかも数年前より私が考えて来た「教育の日」の趣旨を各地域に適応した形で取り入れていただき、そのための行事を立ち上げておられることは本当に喜ばしい限りである。この趣旨が全国各地に完全に理解され、実行に移され、日本の将来を背負う人たちが期待出来る思想と将来への希望が持てるように教育効果が出てくれれば本当にやりがいのある仕事である。従って、各地域の主体性の発揮により、全体的には全連退の広い理念と理想に向っての統一が強まり、一層の力強い組織として、正しきものへ力強い主張が出来るし、自信も持てることになるのではないだろうか。何事を進めるにも人間が自信と誇りを持たねば進められないと思うのである。

また社会のあらゆるシステムが大きく歴史的な転換期にあると言って差し支えないと思う。しかも当面する問題を見るとき、起こる事件などが集団的で、規模が大きい。その主なものはあのアメリカでの同時多発テロ問題で、ビル破壊と共に実に多数の死亡者が出ているし、またモスクワの劇場制圧による多数の死亡者といった、全く人間の生命が軽く扱われ、しかも関係のない人達にまで及ぼされていることは悲しい限りである。その中でノーベル賞のニュースは若い人達の良き目標になり、一つの心の慰めであった。

最後に毎年京都の成人式の日に、通り矢で名高い三十三間堂で弓道大会が開かれる。あの青年男女がまなじりを決し、じっと的をにらみ弓を引く姿に青春の無限を感じる。弓道では矢が弦を離れようとする一時の静寂を「に入る」という。これから起こる一切の結果をかけ、爆発するエネルギーを集約して一瞬静止する時間を尊いを一点で無限無窮の彼方と統合する。正に動の中の静だ。

『栄典制度に関する要望書』を文部科学大臣へ提出

平成十四年十月十日、戸張総務部長、金子政雄福利厚生部長、青事務局長は、遠山敦子文部科学大臣あての「栄典制度に関する要望書」を持参し、文部省内の大臣応援室において豊田三郎秘書官に提出し、大臣への取り次ぎを依頼した。

秘書官から、「確かに大臣へ申し伝える」との回答があった。

今回の要望書の提出は、去る八月八日に文科省を訪れた時に、豊田秘書官より、「叙勲関係の要望は、より多くの教育関係団体の意見等をまとめて、初等中等教育局へ要望書を提出することが効果があるように思う。」との助言に基づいたものである。

要望書の文案については、金子福利厚生部長が作成し、福利厚生部会での検討等を経て、会長の決裁を得、一応の完成をみた。

更に、今次要望書は、より多くの全国組織の教育関係団体の総意を結集して提出するよう取り計らった。

そのため、一応完成した要望書に対する意見等を、関係七団体の長にうかがう手続きが必要となり、青事務局長がその中心となって、精力的にそれに取り組み、完成文通りで七団体の諒承が得られたことは、よろこばしいことであった。

全連退からの要望書、意見文等は、これまで本会単独で提出されることが常であったが、今次要望書のように、内容によっては教育関係団体が連名で提出することがより効果を挙げることにつながるものと考えている。

今回の要望書提出に、土橋会長のお出ましがいただけなかったのは、各地区の協議会への出席計画との日程調整ができなかったからである。

(文責 戸張総務部長)

〔全国校園長会長より〕公立学校の正念場 全日本中学校長会 会長 星正雄

全日本中学校長会 会長 星正雄

時代が鳴動している。国が崖淵にあるというのは実感がない。公的資金導入など、窮乏していると言いながら資金は湯水のごとく出てくる。第一、トップに悲壮感・臨場感がない。しかし、がけっぷちは当たらずとも遠からずのようだ。ところで、18年度に施行されるという「公務員制度改革」は薄気味が悪い。いずれ、スリム化が骨格であろうが、これとて、穏やかではない。教育のスリム化は学校の統廃合がすぐ脳裏をかすめるが、こればかりでは済むまい。教員の数も最小限になり、講師対応が増加するだろう。現在進められている20人規模の学習集団をめざした少人数指導対応とて、文部科学省がどこまで踏ん張れるか。

給与問題もある。能力主義・実績主義が全面的に適用される。現在東京都で行われている人事考課がさらに強化され、給与面、異動面に明確に反映されるだろう。校長の年俸制も単なるうわさで終えることはなさそうだ。私は降格もありうると見ている。厳しい。しかし、世情では当然の論理である。

グローバル化や競争原理が現在の日本の窮状を招いた主たる原因であるが、これを嘆くのではなくいかに克服するかが今問われている。公務員制度改革も日本再興のための不可避的な選択である。そして、間違いなく、今、公立学校の正念場である。

〔全国校園長会長より〕体験的学習について 全国高等学校長協会 会長 千田捷煕

全国高等学校長協会 会長 千田 捷煕

二一世紀を生きる生徒たちに求められる人間としての確かな資質・能力・そして心豊かな人間性の育成が、今、学校教育に強く求められております。単なる知識の集積だけでなく、自分で学び、自分で考え、自ら課題を発見・解決する力、判断力・創造力などです。また、異質な世界についての理解を深め、多様な人間関係を形成し営むことのできる共生の精神です。そこで、これからの教育には体験的学習をより一層充実させることが求められています。体験と実感に根ざした教育の推進は、勉強離れの傾向が指摘されている日本の子供たちに、学習の動機を与え、学習意欲の向上をもたらすと思われます。

教室を出て、外の広い世界において未知の体験をすることは、生徒が自分自身と住む場所を再発見・再評価することになり、ひいては人間認識・世界認識を深める絶好の機会ともなります。中央教育審議会の答申「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策などについて」は時宜を得た提言であると考えます。それは豊かな心と寛容の精神を育て、社会と国家の成熟した形成者を育成する上で極めて重要なことです。

今年度始まった学校週五日制は、子供たちが学校を出て体験的学習をしやすい環境を整えたことになります。問題は、奉仕活動・体験活動にしろボランティア活動にしろ、それを組織的・恒常的に企画運営する機関と担当者をどう確保するかということです。教育は日本の将来を左右する先行投資であり、目先の見えやすい結果にだけ捉われない確固とした見通しを持った施策が強く期待されます。

〔全国校園長会長より〕特殊教育から特別支援教育への転換   国特殊学校校長会 会長 宮崎英憲

全国特殊学校長会 会長 宮崎英憲

「特別支援教育の在り方について(中間のまとめ)」が、平成14年10月に調査協力者会議から発表されました。

今回の中間のまとめは、平成13年1月の「21世紀の特殊教育の在り方について(最終報告)」で検討課題として残されたことについての調査研究をしたものです。

中間のまとめの第1章は、ずばり「特殊教育から特別支援教育へ」となっており、これまでの障害の程度や種類に対応して教育の場を整備してきた特殊教育の役割を認めつつ、障害のある児童・生徒の教育をめぐる諸情勢の変化、具体的には、養護学校や特殊学級に在籍する児童生徒が増加する一方で通常の学級に在籍する特別な支援を要する児童生徒が6%程度の割合で在籍していると考えられること、更に盲・聾・養護学校の児童生徒の重度・重複化が進んでいること、加えて自閉症の児童生徒に対する適切な指導などの開発が求められていること等を踏まえて今後の適切な教育的対応、つまり特別支援教育の推進の必要性が次の2つの視点から述べられています。

第1点は、特別支援教育を推進する上での盲・聾・養護学校の今後の在り方についてです。

これまでの障害種別に分けた学校の在り方から障害種にとらわれない学校(特別支援学校)と地域における障害にある児童生徒の教育のセンターとしての機能を持つことを提言しています。もう1点は、特別支援教育を推進する上での小・中学校の在り方です。先に述べた通常の学級に在籍する特別な支援を要する児童生徒への支援体制について、特殊学級の在り方を含めて提言されています。

特殊教育から特別支援教育へという大きな変革は、私ども特殊学校のみならず、小・中学校の意識変革が求められるものでありますし、双方の緊密な連携協力が不可欠であると考えます。

第二回理事会報告

〔地方紙より〕二宮尊徳に見られる教師像断片 板井角也

板井 角也

教師に対する世間の目はきびしい。普通の社会人ならば新聞沙汰にはならない小さな非・反社会的な出来事も報道され、かつ記事の取り扱い方も大きい。教職員の交通違反などによく現れているようだ。思うに教師というのは社会的に信頼されなければならず、事故を起こすようでは教育が成立しないのだと訴えていると理解する以外にない。不可抗力の事故ならいざ知らず、校長先生の酒気帯び運転やセクハラではどう考えても弁明のしようがない。

徳川幕府時代の塾、寺子屋の師匠の生き方は言行一致、知行合一を旨とし、事上磨錬をし人格を作り上げた。それ故に世人から深く尊敬されたのである。例えば中江藤樹・熊沢蕃山・中根東里・山田方谷・伊藤仁齋らはその典型といえる。山田方谷にいたっては伯備線に駅名としてその名を残している。いかに尊敬されたか伺い知ることができる。

では塾・寺子屋の師匠のすべてがこういう品格のある人物だったのであろうか。疑問は残る。「二宮翁夜話」に俗儒の話が載っているので、これを参考にして紹介することにしたい。この本は尊徳の弟子福住が師事し、身辺に奉仕しその時聞いた教訓を書き記しておき、明治十七年から二十年までの間に刊行したものである。二二三話から構成され七一話に「俗儒の失行」がある。大要を述べてみたい。

俗儒がおり尊徳の愛護を受け子どもたちに教えていた。ある日近村で大酒を飲み、酔って道ばたに寝て醜態をきわめた。教え子たちがこの姿をみて、翌日から教えを受けなくなった。俗儒は怒って尊徳翁に

「私の行ないが善くないのは、言うまでもありませんが、私の教えているのは聖人の書です。私の行ないが悪いのをみて、いっしょに聖人の道を捨てるという理由はありません。どうかあなたから説諭して、また勉強に来るようにしてください。」 とお願いしたところ尊徳は

「そう怒らぬがよい。私がたとえをもって解説しよう。ここに米があって、飯にたいて糞桶(くそおけ・原文のまま)に入れたら、あなたはそれを食べますか。もとは清浄な米飯に違いない。ただ糞桶に入れただけだ。しかしこれを食べる者はいない。あなたの学問もこれと同じだ。もとは立派な聖人の道ではあるが、あなたが糞桶の口から講説するから子弟たちは聴かないのだ。聴かないのを理に合わないと言えようか。」

俗儒は
「私は間違っていました。ただ人に勝つことだけを望んで読書をしていたのです。」
といって感謝し村を去って行ったという。

(中央公論社刊・日本の名著26 二宮尊徳参照)
俗儒の弁明はどこか「青くさい」が尊徳のくそおけの例えは完璧といえないか。反論の余地がない。つまるところ教える立場にある者は言行一致でなければ子どもは信頼せず教育という営為は成立しない、と教えていると考えたい。

ところで会員の皆様はかつて教師であり校長をなさった方々である。退職したのだからすべてのものから開放された、と考えがちであるが、人間は生涯目に見えないものに抑えられ、教師そして校長であったが故に未だに消極的とはいえ地域の人びとから期待されているものがある。仮定の問題として地域住民への感謝の心を忘れ、遜大な生き方をし、行事に一切参加しないような生活を送ったら地域の人びとの期待を裏切るもので非難されるのは当然。そして「校長とはあの程度の人間か」と心の中でさげすまれることを恐れる。現職の校長先生のイメージにも影響するかも知れない。それも負の方向に。退職後も尊徳先生がおっしゃったように「くそおけ先生」にはなってはいけない、と自戒している。

(山形県会長・本部副会長)

〔地方紙より〕「風呂水の哲学」(一部要約) 吹春茂

吹春  茂

福岡県でも最南端の地の山狭の郷、白木の里に珍しい商家造りの大きな屋敷があり、その一角に「風呂水の哲学の碑」が建てられています。

この白木の里に明治7年に生を受けた大内暢三氏は、内外遊学の後、近衛篤麿公の側近として日中、日韓友好親善に尽力し、明治41年、35歳で衆議院議員となり、以降五期22年、国会議員として日中・日韓友好親善、アジアの復興繁栄に尽力されました。それら数々の尽力の根原となるものは、二宮尊徳翁の「風呂水の哲学」でした。

「風呂水の哲学」とは、二宮尊徳翁は「風呂の中に入って熱い湯を自分の方へかき寄すれば湯は自分に当って向うに行ってしまう。反対に向う側に押せば向うにぶつかってこちらの方に返ってくる。これが天地自然の理法で人間だけができることで、それが仁であり、義である」と説かれています。(二宮翁夜話)

大内暢三氏は、この原理を以て政界活動や教育運営(東亜同文書院々長)に当り、日中、日韓友好の原点としてアジアの友好、世界平和の実現を説かれていました。

平成2年に大内邸の一隅に「風呂水の哲学の碑」が建てられましたが、今日の日本の対外関係の中においても大いに学ぶことの多さを感じます。

(福岡県(中)会員・八女区)