抜粋内容

「心の教育」の重要性について   会長 土橋荘司

ニーズに対応した幼稚園運営を  全国国公立幼稚園長会長 佐藤 勇作

教育改革と校長の使命 全日本中学校長会会長 星正雄

教師への「学びのすすめ」 全国高等学校校長会会長 千田捷煕

これからの盲・聾・養護学校に求められていること 全国特殊学校長会長 宮崎英憲

教育の本質を求めて:講演   会長 土橋荘司

「心の教育」の重要性について   会長 土橋荘司

全国連合退職校長会 会長 土橋荘司

人間は一個の受容体であると思う。特の他の人からの心を真摯に受け止める受容体になった場合、自分の生き方も変わり、それは"生"についてまた実質的な生き方にも大きな変化を及ぼすことは事実であると思う。

人生の途上で人はさまざまな人と出会うが、お互いが"心"という名の受容器の蓋を開けないで通り過ぎていく場合が多いのではないか、と最近つくづく感じる。人間が生きていくためには、心の軸を持つことだと思う。軸は何本あってもいいと考えるがこうした事に気がつくのは人に依って違うが、自分を含めて案外多いのではないか。

私は数年前より"心の教育"を考えてきたが最近心の教育があまり言われなくなったのは残念だ。そのため道徳教育に加えて、創造性の教育も忘れてはならない。そして教育の中で創造的な面もあまり重視されない。その結果学問においても、今まで思いもよらない発想で新しい学問を創造するとか、いままでにまったくなかったような芸術を作り出すということは苦手になっていた。また実業の世界でも思いがけないような新しい観点に立った製品はなかなか生み出せなかった。

教育の場合でも「創造性は大切にせよ」という声はあちこちで上がっている。小さいときから塾通いしての詰め込み教育では、創造性だけでなく、情緒というものが欠如した人間ができはしないかと心配もする。受験勉強だけをやってきた人には感動がない。更に道徳もなく宗教心もない人間が次々に生まれて来ると恐ろしくなる。それから"心の教育"でもう一つ不可欠なのは「環境による教育」である。生の自然は恐ろしく危険であるが、そういうものに触れないといけない。本当の自然、生の環境に身を置きそこで生きるという経験から人間の智恵というものが出て来るのだと思う。これは子どもの教育に限ったことでない。模擬的な環境や学習によって得られる智恵は本物ではない。実践の場で学び、修得していく智恵こそが本当の智恵だと言える。今いわれている体験教育の眼の付けどころと方法が大切なことは明らかであり、特に注目すべきことである。

ニーズに対応した幼稚園運営を  全国国公立幼稚園長会長 佐藤 勇作

全国国公立幼稚園長会長 佐藤 勇作

平成十三年度の教育活動も大詰めを迎え、全国の国公立幼稚園では、四月からの完全学校週五日制の実施を視野に入れた教育課程を、鋭意編成中であります。幼稚園教育の更なる充実のために、貴会の変わらぬ御指導と御助言を切望する次第です。

全国国公立幼稚園長会は、五千七百余名の会員とともに、学校教育制度の中に位置付けられた幼稚園として、幼稚園教育要領に則り、環境を通して行う教育を着実に推進してまいりました。今後も、国公立幼稚園の意義と役割を広く訴え、その充実発展に努めてまいる所存です。

特に、本会が重点方針としております第一は、幼稚園教育要領に即した教育内容・方法の実践及び定着を図ることであります。そのためには、小学校との連携やティーム保育の導入などの工夫をしながら、一人一人に応じた総合的な指導を推進することが重要であり、それを担う教員の資質向上が急務であります。更には、人的・物的な面での教育環境の整備も緊急かつ重要な課題となっております。

第二は、幼稚園が、地域の幼児教育のセンターとしての役割を明確にして、子育て支援の充実を図っていくことであります。社会生活が多様化する中で、子育てへの悩みや不安をもつ親が増えてまいりました。幼稚園は、その地域での親と子の育ちの場としても、大きな役割を担っております。そのために、子育て相談事業や預かり保育など、多用なニーズに対応した弾力的な幼稚園運営を推進し、地域の特性を活かした幼稚園経営に努めているところです。

新たな出発に際し、総力を挙げて取り組んでまいります。

教育改革と校長の使命 全日本中学校長会会長 星正雄

全日本中学校長会 会長 星 正雄

第三の教育革命といわれた新教育課程全面実施及び諸改革の進行の中、今ほど校長の使命が問われているときはない。

校長の学校経営のビジョンの説明及び結果には責任が伴う。一般企業と同様に成果の見えないビジョンや経営能力には厳しい評価がつく。その評価結果は給料にはねかえる。そのうちもっと厳しい処置が考えられそうである。それ程自己責任が強く求められていく時代である。さて全日中では教育革命における校長の責任の重さに対応し教育革命の趣旨に沿った教育課程作りと地域と一体となった教育経営の推進並びにシステムづくりを訴えてきた。言うはたやすいが、新教育課程において学習指導の体系化を構築することは困難である。机上ではなく全教員の総意、意欲を取り込むことは余程の積み上げがないとできない。数合わせや形式をつくろうことは可能だが、子どもたちの学ぶ姿や意欲、そして通知表などの評価の在り方によって一遍にボロが出る。

相当数の校長が学力低下を心配しているという全日中の調査もあり、校長の自信を喚起しなければならない。「学びのすすめ」は、「学びの改革」によって成就する。教育は「学び」で勝負しなければならない。最近の心の荒廃により体験活動や行事に傾きがちな学校に対し、学びの科学を打ち立てることの重要さを強調している。評価も目標に準拠したものに変わった今、一人一人がどのような学びをたどるかを抜きにして、学習指導はありえない。諸先輩方の力強い後押しを切にご期待申し上げて、ごさいつといたします。

教師への「学びのすすめ」 全国高等学校校長会会長 千田捷煕

全国高等学校校長会 会長 千田 捷煕

四月から学校週五日制が完全実施されますが、これは休業日が増え、授業日が減るというだけでない、日本の教育の在り方を大きく変える重要な変化です。

戦後の日本は、廃墟の中から物の豊かさを求めて働き続け、現在、先進国の一翼を担うことの出来るまでに発展してきました。しかし、その一方で、精神の有り様については、等閑にされてきたきらいがあります。上昇志向で走り続けてきた戦後五十年、今や国際化と規制緩和等改革の進む中、逞しく生き抜く力を持った個の確立が求められています。学歴や肩書きよりも、一人ひとりが何ができるかが問われる時代です。ここに改めて、「心」と「物」との関係を人間的生き方の根本に還って考えることが必要になります。

すなわち、「ゆとり」の中で生き方、在り方の基本に立ち返り、生きることへの自信と実力を培うことです。そのため学校では応用の利く基本的な学力をしっかりと身につけさせねばなりません。文部科学省が「学びのすすめ」をアピールするまでもないことです。むしろ重要なのは、教える教師への「学びのすすめ」です。教師は学問の成果に学び、先輩の経験に学び、保護者や地域に学び、そして、生徒に学び、絶えず研鑚を積む努力が大事です。

校長は教育のプロとして、経営者として強いリーダーシップを発揮し、いわば生き残りをかけた戦いをしなければなりません。校長は孤独であっても孤立してはいけません。的確で質の高い情報の交換を行い、また、校長会として積極的に発言していかねばと考えています。

これからの盲・聾・養護学校に求められていること 全国特殊学校長会長 宮崎英憲

全国特殊学校長 会長 宮崎 英憲

ご承知の通り、平成十三年一月、「二一世紀の特殊教育の在り方に関する調査協力者会議」が、最終報告をまとめ文部科学省に提出しました。

今回の最終報告には、「一人一人のニーズに応じた特別な支援の在り方について」という副題がついています。これは、これまでの特殊教育は、盲・聾・養護学校や特殊学級などの特別の場において、障害の種類と程度に応じた適切な教育を行うという考え方に基づいていましたが、これからの特殊教育は、児童生徒の特別な教育的ニーズを把握し、必要な教育的支援を行うという考え方への転機が必要であるとしています。

このことは、今までの特殊教育の概念そのものの転機をもたらすものであると考えられます。こうした考え方の転機は、これまでの盲・聾・養護学校における教育の充実に止まらず、小・中学校の通常の学級に在籍する軽度の障害のある児童生徒で通級による指導を受けている子供や学習障害児、注意欠陥多動性障害児、高機能自閉症等の特別な教育的支援を必要としている児童生徒に対しても積極的な教育的対応が求められることを意味しているものでもあります。

こうした考え方に基づき、最終報告では、盲・聾・養護学校に対して多くの提言をしています。その幾つかを挙げますと、<1>就学指導の在り方の改善への関与と早期教育の推進、<2>特別な支援を必要としている児童生徒への積極的な関与、<3>地域の特殊教育センターとしての機能の充実、<4>高等部教育の整備と職業教育の充実、更に生涯学習の支援等であります。

私ども盲・聾・養護学校は、こうした提言を受け、それぞれの地域の状況等に応じて創意工夫した学校運営が求められていると考えております。

教育の本質を求めて:講演   会長 土橋荘司

会長 土橋 荘司

千葉県柏市モラロジー研究所において、シニア教育者研修会・茨城県退職校長会の皆さんに土橋会長が講演された概要です。

教育の本質とは何かということにつきましては、色々な資料を綜合してお話をしたほうがわかりやすいと思います。またそれに関連して政府や文部科学省のことなどにも触れてお話をしてみたいと思います。

まず二十一世紀はどんな時代か、どんな教育をしなければならないかということが大きな問題です。最近は何が古くて何が新しいかという区別もつかない程、時代が急変していますが、ここで教育とは何であるかを考えてみたいと思います。木村素衛先生(西田哲学の高弟)は「国家における文化と教育」の中で、教育は精神の自覚的自己発展があるが他人の助けを借りて育つという矛盾した概念をもっているものであります。河合隼雄先生は、教育には教えることと育つということの二面があり、育つということの中には自ら育つものと育てられるものとがあると言っています。カントは、人間は人間の教育によって人間となる。最初は未発達な人間であるが、次第に能力や資質が発達し、やがては方向性の定まった全人類的な人類になる。それが教育であると言っています。

私は教育とは、教育するものと教育されるものの関係が信念に基づいて主体的に形成されていくものであると思います。

米国が一九八三年「危機における国家の基礎」の教育改革の提言の中で、多様な国民の卓越性を特に強調しています。つまり多様な国民が同調しあうとともに、自分の限界を試して粋を広げ、個人の能力をぎりぎりのところまで出させるものです。文芸春愁の特集では、英国のブレア首相が国を改革する三つの約束として「教育・教育・また教育」と教育を強調しています。

またサッチャー元首相は、教育というものは何年も経って心の底にすり込まれたものがヒョンと出てきて自分を方向づけ新しい経験の基礎作りになるものであるといっています。

英国の教育哲学者ウィリアム・アーサは、平凡な教師はただ喋るだけ、少しましな教師は理解させようと努力する。それよりよい教師は自分がやって見せる。もっと立派な教師は子どもの心に灯をともすものである。と言っています。

ギリシャの哲学者ブルータークは、少年の心は水を盛る器にはしたくない。火を灯す燃料にしたいとも言っています。

昔から教育は、子ども自身とどう見つめ、どう取り組むかが非常に大切なことだと思います。

私はこれからの教育に対して尊重すべきものが三つあると考えています。(1)品性品格の尊重(2)義務感の尊重(3)快適な性格の尊重など心の教育を尊重すべきだと思います。

現在特に気をつけなければならないことは、(1)倫理観の確立(2)愛国心の涵養(3)チャレンジ精神の昂揚であると思います。

それではここで全連退の活動に関連したお話をしたいと思います。全連退では数年前から「心の教育」に取り組み、それに続いて「教育の日」を設定しようと思いました。それは子供を通して過程で十分でも二十分でも教育のことを考える日にし、学校・家庭・国民が一体となっていっそう教育を充実する機会にしたいと思ったからです。

また教育の指針とも言うべき教育憲章の制定についても政府や文部科学省に強く要望していきたいと思っています。教育にとって重要な教科書問題についても、(1)日本に生まれてよかったと思う教科書(2)知らないことがわかってもっと勉強したいと感ずる教科書作りについて、文部科学者に提言しました。教科書の中で伝統的な内容などを次の世代にどう反映させていくかはたいへん重要なことです。今すぐ効果がなくても次の世代に、効果が出るような教科書作りでなければならないと思います。

最近米国では、学力低下のために基礎強化に力を入れているが、ウィリアム・ベニッテという教育者は、三Cという三点を強調しています。(1)コンテックス(内容)として国民の資質の教育を重視する。(2)キャラクター(品性)として社会道徳を高めるための教育に力を入れる。学校では学風作りに努力する。(3)チョイス(選択)で進学する学校は親の責任で選択する。それは学校と家庭がしっかりしなければならないと言う考え方があるからです。

それに比べて日本の教育改革は不十分であいまいな点が多いような気がします。

例えば中学校の教育の中で本を三十冊読むべきであるとか。

小中学校でこれから実施する奉仕の生活についても聞こえはよいが、その時期のとり方などについてはあいまいです。

また教育に経験がなくても免許法の改正で誰でも校長になれるというが、管理職となるための筋道をはっきりさせる必要があります。日本では教科の勉強の成績がよければ教師になれるという安易さがあるが、しかし教師の資質はそればかりではない筈です。

英国では、教育を重視するために優秀な人材は一般社会には採用させず、五年間の教育研修をしてから教師の選考をする。如何に教育を大事にしているかがわかります。

日本では、中教審の中に小中学校長会の会長や経験者が入っていないことは、教育を重視する方向としてはまずいと思います。

私たち全連退は四十年の教育経験を生かして、次の活動を展開し、政府や文部科学省に働きかけていきたいと思います。
(1) 道徳教育を高めるために道徳主任を配置する問題。
(2) 義務教育の中学と高校との一貫教育に関する問題点
(3) 学校週五日制の完全実施に伴う学力低下の問題
(4) 不登校の児童生徒(十三万)に対する義務教育の問題
(5) 各教科領域の基礎基本の考え方や捉え方、今後の対策
(6) ゆとりの問題や生きるための創造性の問題など

私は信州で生まれましたが信州の特長や性格は三つあると思います。
(1) 土俗性 風土的な強い圧力を受けて育んだ頑固な気質
(2) 源流性 本質は何であるかを見きわめようとする探究心
(3) 洋才性 山国であるため視野を広めようとする進取の気性
この信州を代表する教育者の手塚縫藏先生は、「現在自分が存在するということが立派な教育である」と言っているが、これは身をもって子供に知らせる教師の姿勢であると思います。

もうひとりは島木赤彦先生です。私の好きな言葉に「教場へ行くまでは扇子を開け、教場では扇子を閉じよ」と言い授業の前はよく勉強し授業が始まったら自分の考えでしっかり教える。

また人は麦のように踏まれて発展する。童謡については童謡は人に温かい詩の心を甦らせる。人は童謡によって豊かなイメージを与え,やさしさや素直さを感じさせる。更に教師は「精巧ではなく感銘を与える生育(生きて育てる)でなければならない」と感動的な表現をしています。

それでは最後に教育とは、社会に役立ち、人の心をなごませ、人にやさしさを与え、自分らしく生きていく人間の育成であり、歴史的文化を継承して、次の時代を生かしていくことが教育の本質であると考えています。

(文責 会報部 宮澤歳男)